Tuesday, November 25, 2008

ドキドキのクラス

ドキドキのクラス

 「先生が言ったことはちょっとこのケ-スとは違うと思うんです。」「私はジョンさんと同意しません。」普通の世界の安保のクラスの日だ。みんな学生が厳しい顔をして、互いに討論をしている。その中で目を回して静かに座っているのが私だ。ドキドキして口を何度も開けたりしめたりしているのは話す前に「私が話すことがまるかな、ばつかな」と何度も考えていく時、ほかの学生がもう私の言おうと思ったことを話して機会をなくしてしまうからだ。本当に心が痛むが、自身がないのでそんなことを続ける。ほかの学生はどうかなはよく分からない。でもそうじゃないかもしれない。みんなすらすら話しているから。

 韓国や日本などのアジアの国のクラスでは見られないことがアメリカにたくさんある。例えば韓国の学校のクラスでは大部分先生だけが話していて、学生が長い時間一人で話すこととかはぜったいめずらしいことだ。でも 世界安保のクラスの二時間の間は先生は十分ぐらいしか話さないで、残りの時間は学生の責任だ。専攻に必要で重要なクラスだからいい成績をとりたいが、小学校と中学校を韓国で卒業した私にとってはちょっと大変なクラスだ。

 ある日クラスの準備を特別に熱心にして行ったはずだった。先生がした質問をした。「どうしてこの本の作家はイラクにアメリカの仲裁が必要だと言ったか。」「あ、これは私が知っているのだ!」と思って手を上げた。「どきどき」。心臓が打つ音が聞こえた。先生の顔を見るとやっぱり正しそうだった。でもすぐ隣の学生が言った。「ジュリーさんと同意しないわけじゃないけど。。。」。「あ、困った。やっぱり私が間違ったのか」と心の中で思ってその女の子の話を聞いたが、「あれ?それはぜったい違う」と思って早く反駁しながらドキドキしすぎて、心臓が止まりそうになった。先生は誰が正しいかを教えなかったが、それは重要じゃない。それからもっと心が強くなった。手を上げる時ドキドキするのは仕方がないが、だいじょうぶ。だんだんドキドキするのが大丈夫になっているからだ。

3 comments:

Anonymous said...

作文は分かりやすくて良かったです。流れも自然なようです。それもあって面白かったです。ドキドキするのにがんばっているのはすごいですジュリーさん。ですが、ジュリーさんはとうろんが大好きもあるんでしょう。

アメリカ人なのに、私なら大変恥ずかしくなります。けど、私は例外と思うんです。普段の人と違います。ちょっと問題ので私もがんばりたいです。

Unknown said...

ジュりーさんの作文を読んだら、自分の大学生のとき初めでアメリカの大学でクラスを取る経験を思い出して、とても感心しました。

それでは、クラスのディスカッションで確かに全然遠回りしなくてほかの人の意見に反対する人があります。それはアメリカだけの問題じゃありません。ディスカッションでユーモアを使ったり、自分の意見を丁寧に言うのは大学教育の一部分だと思います。

jubin said...

sou desune...
kankokuniwa kono youna kotoga miraremasen ne.
watashimo kankoku de koukou made benkyouu wo shite, imamademo kurasu de shitumon shitari discussion shitari noga yoku dekimasen.
totemo muzukashii kotoda to omoimasu.
kyonen totta futatsu no kurasu dewa mai-kurasu nanika hanasanakereba naranakattakara watashiniwa totemo taihen na kurasu deshita....

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