Tuesday, December 2, 2008

Adieu 2008




 



もう12月、一年が終わろうとしていますね。
私は2008年、何を成就したがとか、何を習ったがなどを考えさせます。
いや、2008年はとてもすごい年でした。
まず2008年の初めにした東京の旅行は私の人生中一番楽しくて, 母と、父と、おばあさん、みんなが一緒に行って、家族の大切を感じられる機会だった。何か特別にしたことはないけど、家族がみんな幸せにおいしい食べ物をたべたり東京のいろいろなところを観光してとてもよかったです。あ、一番思い出すのはおばあさんがあるレストランでちらしを食べたときです。おばあさんは食べる前に、「僕が小学生の時(それは1935年ごろ)日本人だったの小学校の校長先生が作ってくれたちらしとおいしさが同じかな。。とてもおいしかったげど。」と言った。もう70年も過ぎましたが、おばあさんはそのちらしのおいしさを忘れなかったんです。幸いにおばあさんはレストランで注文したちらしをたべて、「同じだよ。こんなおいしさだった!いやあ、とてもおいしい」と言いました。私もとてもうれしかったんです。







愛するおばあさんと私





















   







2008年 五月ごろにはとても大変なことがあってストラグルしました。勉強の意欲もなくしたり、毎日憂鬱だった気分が続きました。成績は悪くになって、「こんなように続けてすると本当に困る。大学院はどうやって入られるの」と思ったけれど、よくスランプを乗り越えることができませんでした。でも友達のてを借ったんです。もし友達がなかったら、どうやってその難関を勝ち抜けたかぜんぜん分かりません。私の話をよく聞いてあげたり、一緒に買い物をしたり、クラブへ行ってストレスを発散させたりして気分がよくなったんです。そして前には大部分クラスへ行く時以外には部屋へ一人とりのこされていましたが、友達とよく出て、ニューヨークーを楽しみました。私がとても憂鬱だったある日、友達は衝動的な決定をしました。「私とジュリーちゃんが同じに大好き色で紙を染めるよ!ピンク!!!」そしてDuane Readeで買った資料を使って友達の家で染めました。私たちの紙を見た人はみんな「えええ、どうした?」「大丈夫か。」とびっくりして聞きましたが、私たちは本当にめずらしい経験でしたから面白かったんです。忘れられない追憶です。







また2008年は終わりませんでした。今学期の勉強をよく仕上げって12月の31日にまた2008年について思い出すとき、「あ、本当にいい年だった」と考えられたいです。

Tuesday, November 25, 2008

ドキドキのクラス

ドキドキのクラス

 「先生が言ったことはちょっとこのケ-スとは違うと思うんです。」「私はジョンさんと同意しません。」普通の世界の安保のクラスの日だ。みんな学生が厳しい顔をして、互いに討論をしている。その中で目を回して静かに座っているのが私だ。ドキドキして口を何度も開けたりしめたりしているのは話す前に「私が話すことがまるかな、ばつかな」と何度も考えていく時、ほかの学生がもう私の言おうと思ったことを話して機会をなくしてしまうからだ。本当に心が痛むが、自身がないのでそんなことを続ける。ほかの学生はどうかなはよく分からない。でもそうじゃないかもしれない。みんなすらすら話しているから。

 韓国や日本などのアジアの国のクラスでは見られないことがアメリカにたくさんある。例えば韓国の学校のクラスでは大部分先生だけが話していて、学生が長い時間一人で話すこととかはぜったいめずらしいことだ。でも 世界安保のクラスの二時間の間は先生は十分ぐらいしか話さないで、残りの時間は学生の責任だ。専攻に必要で重要なクラスだからいい成績をとりたいが、小学校と中学校を韓国で卒業した私にとってはちょっと大変なクラスだ。

 ある日クラスの準備を特別に熱心にして行ったはずだった。先生がした質問をした。「どうしてこの本の作家はイラクにアメリカの仲裁が必要だと言ったか。」「あ、これは私が知っているのだ!」と思って手を上げた。「どきどき」。心臓が打つ音が聞こえた。先生の顔を見るとやっぱり正しそうだった。でもすぐ隣の学生が言った。「ジュリーさんと同意しないわけじゃないけど。。。」。「あ、困った。やっぱり私が間違ったのか」と心の中で思ってその女の子の話を聞いたが、「あれ?それはぜったい違う」と思って早く反駁しながらドキドキしすぎて、心臓が止まりそうになった。先生は誰が正しいかを教えなかったが、それは重要じゃない。それからもっと心が強くなった。手を上げる時ドキドキするのは仕方がないが、だいじょうぶ。だんだんドキドキするのが大丈夫になっているからだ。

Monday, November 17, 2008

今住んでいるところ

私が今住んでいるところはコロンビア大学のりょうです。「リーバ」というりょうです。リーバサイドの114st.にあります。「リーバ」は韓国の家の私の部屋と比べてずっと小さいですが、コロンビア大学に来た後で住んでいたほかのりょうと比べては一番大きいりょうです。

一年生と二年生時住んだりょうはとても大変でした。一年生のりょうは小さすぎで、本当に住みたくないでした。二年生のりょはもっと大変でした。ネズミがだくさんいましたからです。ある日は勉強していましたが、何が動いている声を聞きました。つくえの下を見ると小さいネズミが走っていました。私はとてもびっくりしていすの上に立てひめいをあげました。とてもこわいでした。T-T

三年生のりょうはせまいましたが、いい点がありました。それはりょうは無料だったのです。コロンビアからこづかいももらいます。三年生から「Resident Advisor」というの仕事を始めました。「RA」はコロンビア大学のためりょうに住んでいる学生をかんりする仕事です。誰がタバコを吸うかとか、loungeでお酒を飲むかなどを取り締まります。学生が楽しく住むためいろいろなeventもけいかくします。
今住んでいる「リーバ」も無料です。大学の最後のりょうだから今度はもっと飾るようにしています。私はピンクが大好きで、部屋にはピンクの物がたくさんあります。時々きたなくて大変ですが、今住んでいるところはきに入ります。

Tuesday, October 21, 2008

ドキドキしたモメント

最近:

政治のクラスでよく話すことができないので、ある日はとても熱心に勉強して、たくさん話するために準備してクラスへ言った。nuclear proliferation について私の考えを話す前にとてもドキドキした。ついに私が話したが、隣につわっていた女の子が「私はその考えはばつだと思います」きびしいに言って、びっくりしてもっとドキドキした。でもその女の子が言ったことは、クラスで私たちが読んだ本によればばつだったから私はもっと勇気を出せて、「いいえ。**本によれば、--さんの考えがばつです」と言った。アメリカの教育制度はそんなきびしい討論をたくさん練習させていてとても大変だ。

一番:
コロンビア大学の一年生の時、チアリダーだった。一番大切なHomecomingのbasketballのゲームがあった日、たくさん練習したのにとても緊張した。Levien Gymには800人ぐらいいて、私の友達もはじめに私がちチアするのを見に来て、もっと緊張して、とてもドキドキした。ダンスとstuntを失敗しないでよくできてとてもうれしかったが、一番最後のstuntが終わった時、ほかのチアリダーのかたでしりもちをつきた(fell on my butt)。みんな800人が「あああー」と言って、私は恥ずかしすぎだったが、すっくと立ち上がって、にっこり笑ってチアを終わった。心がドキドキしすぎてちょっと痛かった。


この写真をとった後、すぐしりもちをつきた。上の左からよん番目の人が私だ。

Sunday, October 12, 2008

書きたくないんです。


私が始めで本----当に長くポストをしました。二時間ぐらいかかって本当に!!!!!!!!!熱心に書きましたけどpublish をするとこのページが出て、なくなりました。Auto save nowが私が書くのをsaveしたと思いましたが、初めの2linesだけです。私は今ちょょょょょょょょょょょょょはらが立っていますから、も一度書くことがぜんぜんできません。明日もっと書きます。


私と日本語

はあ。。。もう一度書きます。悲しすぎです。

今日のの トピックはちょっと難しいですね。こうはんい(broad)ですから。私が日本語を勉強している理由とか日本語についてどう考えるかとかを書くといいかもしれません。
私は実はコロンビア大学で日本語の勉強を始めた時は特別な理由がありませんでした。「まあ、日本語は女の子が話すととてもかわいいですから、私も友達と一緒に勉強するかなあ」と思いました。もちろん中学生から(今も時々)日本のまんがはたくさん読んでいましたけど、日本語や日本の文化や歴史などはぜんぜん分かりませんでした。

日本語にもっと関心が高めたきっかけ(moment)は私が二年生の始めに専攻を決めた時です。専攻はアジアの政治。韓国と中国の歴史や言語はもう慣れていましたから私の勉強にとても役に立ちましたが、日本についてもっと勉強しなければなりませんでした。私はある国について勉強したければ、まずその国の言語を勉強する法がいいと思いますから日本語の勉強をもっと熱心にするようにしました。今学期は「日本の政治」も受けています。私は将来アメリカの政府で働きたいですからアメリカの観点(perspective)からアジアの政治を勉強していますが、日本の政治は得に面白いです。例えば、日本はアジアでアメリカの一番いい同盟国(ally)ですが、アメリカが戦争の後で(1947)作った日本国憲法に関して日本の中にいろいろな問題がたくさんあるそうです。最近は日本の選挙制度(election system)について勉強していますけど、ちょっと難しいです。最近は特に日本で新しいPrime Minister麻生太郎がとうせんして(elected)、すぐほかのせんきょがあるそうですが、まだ日本にはどうして多いPrime Ministerがじにん(resign)するかはまだ分かりません。日本のいろいろな党(parties)についてももっと勉強しなければなりません。来週もう中間試験がありますけど、ちょっとこわいです。。

とにかく、日本語は勉強すれば勉強するほど難しいですが、それはみんな言語がそんなようだと思います。ある日日本語をぺらぺら話したいです。実は来年の夏日本でlanguage programをするかもしれませんが、まだ決めませんでした。

Tuesday, October 7, 2008

私にとって携帯電話とは

私にとって携帯電話とは日常に欠かせないものです。Fantasticな人ように私も留学生ですから、韓国に住んでいる家族と連絡するためにぜったい必要です。私は特別に一人娘だから、両親とよく電話で話します。一日二回も電話をしますから、携帯電話のりょうきんが高すぎで、最近はコンピューターでweb cam chatをよく使っています。携帯電話の文字通信もたくさん使います。2006、「ヒリオー」という韓国の携帯電話会社がニューヨークでも携帯電話のサビスを始めて、アメリカから韓国に携帯電話の文字通信ができるようになりました。それで私は文字の通信が無料のサビスplanを使って、一か月五百個以上の携帯電話の文字を送っています。大部分母とやり取りしています。

携帯電話は通信手段以外にも私の生活にはとても大切です。母はイタリアとかニューヨークでfashion showとかに行って、いろいろな女の服とかfashion物をオーダする仕事をしています。私は母のニューヨークのスケジュールをかんり(manage)しています。約束や会議などの準備する時、携帯電話はとても重要です。私は携帯電話でイーメルを読んだり、インタネットでいろいろなことをさがしたりします。例えば九月母がニューヨークに来た時、私はクラスの宿題や母の仕事などがたくさんあって、目が回りました。その時携帯電話があってとても役に立ちました。ある日、母は仕事が終わって言いました。「ああ、今日はSaigon Grillの食べ物が食べたいねえ~!」でも私たちは私が知っている80th streetのSaigon Grillからちょっと遠いところにいましたから困っていました。でも携帯電話のインタネットを使って、Saigon Grillはほかのところにどこかへあるかをけんさくして(search)、近いので食べられました。「とても便利な世界ですね、とこでも何でもさがせますから」と母が言いました。

とにかく、私にとって携帯電話とはひつじゅひんです。一日もなかったら本当に不便だろう。

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